『シドマイヤーズ シヴィライゼーション VII』で世界にその名を残す最強の国家を築こう。
あなたの戦略次第で独自の文化が生まれ、国家が発展していく。
歴史に名を残す伝説的な指導者の一人となって国家を導き、時代が移り変わる度に新たな文明を選択して、誰も見たことがないあなただけの物語を作り上げよう。
イサベル
スペインの女王イサベルが目指したことはただ一つ。自らの権力の拡大だった。国内では、異端審問とレコンキスタによってカトリックの牙城としてスペインに新時代をもたらすために力を尽くした。一方、海外ではスペインの勢力を新世界へ広げる取り組みを支援した。賢明にして無慈悲な女王イサベルは、戦争と富の上にスペインの将来の礎を築いたのである。
クセルクセス1世
クセルクセス1世は危機の時代に王位を継ぎ、アケメネス朝を栄光の時代へと導いた。即位後、たちまち2つの反乱を鎮めた彼は、次なる狙いをギリシャに定め、紀元前480年に侵攻を開始した。サラミスの海戦で敗北してギリシャ征服を諦めた後は、拡大から富の充実へと関心を移し、優れた建築物に財力を注いだ。万国の門のような記念碑は、クセルクセス1世が民にもたらした勝利と敵に与えた恐怖の証と言えるだろう。
ハリエット・タブマン
もともとの名前はアラミンタ・ロス(通称ミンティ)といい、両親はメリーランド州の農園で奴隷だった。奴隷として働かされている人々をかくまい、北部へ導く「地下鉄道」を通じて過酷な環境から抜け出したハリエット・タブマンは、コンバヒーフェリー襲撃で北軍を率いて700人以上の人々を救出した。また、後には参政権などの民権運動に参加した。ハリエット・タブマンほど自由と権利のための戦いを体現した人物はそういない。
徴側
ほんの短い期間だが、今日ベトナムと呼ばれている地には、漢王朝に立ち向かった2人の姉妹がいた。徴側と徴弐だ。漢によって夫が処刑されたことを契機に、徴側は妹とともに蜂起した。独立は3年しかつづかず、最後は漢の反撃を受けて鎮圧されたが、彼女たちは数々の伝説によって神格化され、今もベトナム独立の象徴として讃えられている。
テカムセ※
「天空を横切る者」テカムセは、初期のアメリカ合衆国の西進拡大に抵抗したショーニー族の酋長である。彼は弟のテンスクワタワと共に、先住民たちに団結と抵抗を呼びかけた。テカムセは1812年の戦争で命を落としたが、彼の「文化を守り続ける」思想は今も生き続けている。
※指導者 テカムセは、DLC「テカムセ&ショーニー パック」に収録されています。「テカムセ&ショーニー パック」は、『シドマイヤーズ シヴィライゼーション VII』デラックス エディションおよび創始者エディションに収録されています。『シドマイヤーズ シヴィライゼーション VII』通常版には収録されていないものの、2025年2月11日(火)まで通常版の予約コンテンツとして提供され、その後は別途購入できるようになります。追加コンテンツの受け取りにはインターネット接続が必要です。利用規約が適用されます。
ホセ・リサール
ホセ・リサールは、フィリピン人の尊厳と自治権を守ることに情熱を傾けた人物であり、長くフィリピンの英雄と見なされている。彼が政治活動家として知られるようになったのは、訪欧中に祖国フィリピンを支配するスペインを批判したことがきっかけだった。リサールは穏健な改革や平等な権利の実現を訴えていたが、最後は反逆者としてスペイン当局に処刑された。しかし彼の志を抑えこむことはできず、その革命の精神は今もフィリピンの人々を鼓舞しつづけている。
パチャクテク
パチャクテクはクスコ王国を侵略から守り抜いた後、1438年頃に王位を継ぐと、すぐさま周辺地域の征服に乗り出した。彼は軍事面でも政治面でも等しく高い能力を持っており、力で征服できない相手にはたくさんの贈り物をして、自治と繁栄を約束する対価として忠誠を求めた。インカ帝国は彼の死後60年ほどしかつづかず、スペイン人の到来によって滅びたが、パチャクテクが遺したものは今も消えてはいない。
ナポレオン※
ナポレオン・ボナパルトは、良くも悪くも歴史上で最も名高い指導者の一人だ。コルシカ島に生まれた彼は、フランス軍に入隊するやみるみる頭角を現し、1799年にはクーデターを起こして第一執政に就任した。さらに1804年にはフランス皇帝に即位し、大陸封鎖令を発してフランスの再生と敵の弱体化を図った。彼の治世は、社会に大規模な変革が起き、西はスペインから東はロシアまで、ヨーロッパ全土を戦争の嵐が吹き荒れた時代だった。
※指導者ナポレオンと「皇帝」パーソナリティを入手するには、『シドマイヤーズ シヴィライゼーション VII』のプレイに使用された2Kアカウントが必要です。ナポレオンの「革命家」パーソナリティを入手するには、『シドマイヤーズ シヴィライゼーション VI』と『シドマイヤーズ シヴィライゼーション VII』両方のプレイに使用された2Kアカウントが必要です。2Kアカウントは無料です。受け取りはアカウント1つにつき1回のみです。報酬はゲーム内で自動的に配布されます。禁止されている地域では無効となります。利用規約が適用されます。詳しくは『シドマイヤーズ シヴィライゼーション VII』2Kアカウントのメリットページをご覧ください。
マキャヴェッリ
フィレンツェの著作家・外交官・哲学者であったニッコロ・マキャヴェッリの名前は、二枚舌と裏切りの代名詞となっている。マキャヴェッリの説によれば、最も有能な統治者とは、権力を手に入れてそれを行使しつづけるためとあらば、どんなことでも躊躇なく実行する者だという。こうした態度は、カトリック教会はもとより、大きな権勢を誇っていたメディチ家の怒りをも買った。しかしその思想は、彼の死後に刊行された代表作、『君主論』に生きつづけている。この本こそ、マキャヴェッリズム的な意味での彼の真の遺言書と言えるだろう。
卑弥呼
太古の日本に存在したとされる国、邪馬台国。その女王であった卑弥呼は、巧みな政治力に加え、巫女としての神秘の力で国や民を支配したという伝説がある。その権勢は中国の魏の国にも認められ、「親魏倭王」の号を授かるほどだった。卑弥呼の名は悠久の時を超え、日本の民俗史で語り継がれている。
ハトシェプスト
紀元前14世紀初頭のエジプトは、ハトシェプストによって栄えた。ハトシェプストはその長い治世にエジプトの経済圏を拡大させ、北は地中海、南は豊かなプントの地にまで交易網と影響力を広げた。そうして蓄えた富を、ハトシェプストは大規模な建設事業に注ぎ込んだ。エジプトの民が受け継いできた豊かな遺産を誇示し、エジプトと自分自身のために培ってきた力を後世に残そうとしたのである。
フリードリヒ2世
軍国主義的なプロイセンで王位についたフリードリヒ大王は、当初は矛盾した存在に見えた。若い頃の彼は、戦争よりも芸術や文学に関心を持っていたからだ。しかし王に即位するや否や、彼は軍事理論への鋭い資質と、プロイセンらしい侵略への興味を示すようになる。フリードリヒ2世は精力的に領土を拡大し、プロイセンの武名を確かなものにした。しかし、芸術への愛を失うことはなく、鉄の拳による軍事活動の中でも、知識人への十分な後援をつづけた。
ベンジャミン・フランクリン
植民地時代のアメリカで、ベンジャミン・フランクリンほど輝いていた人物はそういない。一介の印刷工として働きはじめた彼は、みるみる頭角を現し、やがて有名な新聞の発行者としての地位を手に入れる。1747年には政治家に転身し、建国の父祖の一人として独立宣言の起草と署名に加わった。博学で、じっとしていられない性分だったフランクリンは、科学の面でも大きな業績を残し、電気や海洋学など、多様な分野の発展に貢献した。
孔子
孔子が活躍したのは周の時代のことだ。当初は政治に関わる仕事についていたが、後に文士に転向した。統治者たちが権力争いに明け暮れ、悪徳に染まることが多かった当時、孔子は秩序や調和、伝統を重んじる精神を養おうとした。孔子は多くの書物を著したが、その中で彼は、統治者も臣民も、親も子も、万人が勤勉の大切さ知り、分をわきまえることが肝要であると説いている。儒教はその後二千年以上にわたって東アジアの社会に影響を及ぼしつづけ、今に至っている。
シャルルマーニュ
シャルルマーニュ、またの名をカール大帝は、768年にフランク国王となった。多様な民族から成り、何かと落ち着かない国民を受け継いだ彼は、王国を作り変えるため、古い伝統と新しい統治の形を融合させ、帝国をヨーロッパの広い範囲にまで成長させた。また、鋭い政治感覚に加えて、生来の好奇心はカロリング朝ルネサンスの呼び水となり、シャルルマーニュの宮廷は外交官や知識人の集う場となった。
エカチェリーナ2世
ドイツの大貴族の娘として生まれたエカチェリーナ2世は、1762年に夫を失脚させてロシアの女帝となった。彼女は近代化の理念にもとづいて法と統治の体制を改革し、戦争と外交による急激な拡大の時代に国の舵を取った。また、知的好奇心が強く、芸術をこよなく愛した彼女は、創作家・学者・科学者を後援し、ロシアにおける啓蒙主義と革新の土壌を育んだ。
イブン・バットゥータ
モロッコ人とベルベル人の間に生まれた学者であり旅行家でもあるアブー・アブドゥッラー・ムハンマド・イブン・バットゥータは、1325年にイスラム教徒の義務とされるハッジ(メッカ巡礼の旅)に出発し、交易路に沿ってアフリカ・アジア・ヨーロッパを旅した。ハッジを終えた後も、彼はダール・アルイスラーム(「既知のイスラム世界」)の探検をつづけた。その膨大な旅の記録である『リフラ(旅行記)』には、イブン・バットゥータが旅した土地とそこで生きる人々の暮らしが彼の省察とともに記されており、今なお旅好きな人々の心を刺激してやまない。
アショーカ
マウリヤ朝の王だったアショーカ王は、暴虐なことで知られていた。しかし、紀元前260年頃のカリンガ戦争で、流された血のあまりの多さに深い衝撃を受け、仏教に帰依したのである。その後の歳月、王は寛容と非暴力の教えを国の内外に広め、かつての自分のように破壊の道を歩む者が減るよう力を尽くした。仏教を広める役割を果たしたことから、チャクラヴァルティン、すなわち「転輪聖王」と称えられる。
アミナ
勇ましき女王アミナが権力を手にしたのは、サハラの交易路とつながる世界がどんどん広がりはじめた頃だった。固い意志を持つ征服者だったアミナは、ハウサ族を率い、植民地時代前のサヘル全体を支配下に置こうと領土拡大に乗り出した。アミナには、征服した先々の都市で恋人を作り、寝屋を共にした翌朝にはその相手を殺したという言い伝えがある。この地を統一するにあたり、アミナは自分の流儀を貫いた。それは、人でなく、剣の力に頼るというものだった。
アウグストゥス
血で血を洗う内戦を経て、アウグストゥスは一筋縄ではいかない共和国を統合し、北海からエジプトまで広がる大帝国を築いた。ローマ人は暴君の誕生を恐れていたが、それにもかかわらず彼はローマで唯一絶対の権力者に上り詰めた。在位中、彼は領土を拡大し、税制を改革し、その後もつづく君主崇拝に先鞭をつけた。近代のローマ帝国のイメージは、おおむねアウグストゥスが思い描いた国家像のひとつがもとになっている。
ラファイエット
ラファイエット侯爵ことジルベール・デュ・モティエは、2つの大陸に足跡を残した人物だ。アメリカ独立戦争では軍隊を率い、フランスでは王政と革命の間で理性を説きつづけた。彼の功績は素晴らしいものだが、何よりも特筆すべきは激動の時代の中心にいながら老年まで生き延びたことかもしれない。